CERATO
学名:Ceratostigma willmottiana
和名:セラトー
【エッセンスが必要な状態】
自分の判断に自信がない。
客観的に物事を見ることができない。
【エッセンスで得られる効果】
自分自身の直観を信じる。
確信をもつ。
選びとる力が失せたときに使うエッセンス
セラトーは、1900年代のはじめに、
ある英国の植物収集家によって中国で発見され、英国にもち帰られた植物です。セラトーは、12ヒーラーズ
(12人の癒し手)の中で唯一、英国原産でも帰化植物でもなく、栽培された花からエッセンスはつくられます
(帰化植物とは、人を媒介して渡来し新しい土地の気候・風土になじんで自生・繁殖する植物。セラトーは帰化せず、
栽培で育つ)。今では、広く英国で栽培され、この国のあちこちの庭や植物園で見られます。
セラトーは、自分自身を見失っていて物事を判断することが難しくなっている状態のときに使うエッセンスです。
私たちが何かを決めるとき、それが「今日は、どの靴をはいていこうか」という日常的なことでも、
「新しい仕事を始めるかどうか」 という重大なことであっても、"選びとって決断する"という行為は、人生を創造し、
自分自身を明らかにしていくことにつながります。
"どれを選択するか"ということを、深くつきつめていくと、「私は何者であるか」「何のためにこの人生があるのか」
という根源的な問いかけに、向き合うことになります。
ふと口にした言葉によってさえ、その後の人生に違いが生じることがあります。
「あのときの、あの一言がなかったら、僕はずっと君と一緒にいられたのに」
といった恋愛ドラマのような出来事は身の周りで頻繁に起きています。今日はこれで行こうと決めた靴箱の中の靴1つ1つに、
それぞれ別々の出来事があり、それに続く未来があります。
セラトータイプは「自分の道はこれでいいか?」と問い続ける人
だからこそ、
セラトータイプの人はいろんな人々に意見を求めずにはいられないのです。信頼できる人の話に耳を傾けて、
よりよい決断をしようと考えるのですが、聞けば聞くほど選択の多様性が増えて、どれももっともらしく、けれども「これ」
と決められず、身動きができないのです。
フラワーエッセンスのセラトーが、だれかの庭で栽培されていたものからつくられたように、セラトータイプの人は、
自己のアイデンティティーや人生観が不確かなまま、既成の枠組の中に身をおいて生きている状態ともいえるでしょう。
ただし、それはセントーリーのように人の言いなりになっているわけではなく、
またウォーターバイオレットのように自分の内にひきこもってしまっているのでもありません。自分の意志とは別のところで、
導かれた運命の中で、「自分の道はこれでよいのだろうか?」という問いかけを心の内に抱いています。
同じく決断力を失っている状態のときに有効なスクレランサスも、植物の育ち方において、セラトーとの共通項があります。
全体の構造の中にまっすぐに立ち上がるものがないのです。セラトーは半ば木質化する茎がうっそうと茂り、
ここが中心という所が見当たりません。また、茎や葉のへりに見られる赤い色は、鉄がさびたときのような、
何かに負けてしまっている色のようです。
そのような赤サビ色の茎や葉をともない、ワサワサ茂る濃い緑の中で、セラトーの花の鮮やかなブルーは、
強烈なインパクトがあります。しかも5枚の花びらは、規律ある完璧な5角形を形づくっているのです。
セラトーのブルーは、よくある水色や空色とは違っていて、内に秘めた赤い色と混じり合い、
イギリス人が"異国的"と賞賛した神秘的な青になります。 内なる知恵と霊性の青。
7つのチャクラの中で"第3の眼"と呼ばれる6番目のエネルギーセンターと呼応する波動です。
求める答えは自分の中にある
何かを選びとって決断するとき、
そしてそれによって自分の人生が創られていくとき、結局その選択がよかったのか悪かったのかは、だれにもわかりません。
「自分が何者であるか」も、頭で理解できることと真実の姿との間には、大きな隔たりがあります。
結論を知ろうとするより、自分の直観を信じて今を生きることが大切であり、外側へ何かを求めるのではなく、
より高い法則にのっとって、自らを導く力が自分の内に宿っていることを信頼していくことなのでしょう。
【Nさんの体験談】
谷川岳の森の中を散歩していたら、アグリモニーに出合いました。かわいかったので、
根っこを引き抜いて東京まで持ち帰りました。家についたとき、アグリモニーは想像していたとおり、グッタリしていました。
急いで土の中に入れて、ファイブフラワーレメディー(緊急時に使う5種類の花をブレンドしたエッセンス。)
を入れた水をかけました。けれども、翌日見てみたら、まだグッタリ…。「アグリモニーにはアグリモニーがいいんじゃないの?
」 と友人に言われてアグリモニーのエッセンスをあげてみたけれど、何か違う感じ。
谷川岳の森にいるとき、「こんな森の中に住んでいるアグリモニーをあんな都会に連れていっても大丈夫かな?」
と友人に言ったら、「確かに連れてこられたら、セラトーの気分になったりしてね…」
という会話をしていたことを思い出しました。
連れて帰ったアグリモニーに、セラトーを入れた水をかけてあげると、見事に翌日には元気になり復活していました。
植物も人間と同じ気持ちがあるということを実感したとても貴重な体験でした。
Nさんの家に連れてこられたアグリモニーの花は、セラトーのバイヴレーションに癒されて元気になりました。
谷川岳の森の中で一生を過ごしていたら、決して知ることのなかった世界に今、その身をおいていることでしょう。
そして、この出来事は、植物と人間との関係に対して、Nさんに新しい洞察をもたらすことになりました。
生まれ育った土地から離れてどこか別の地で暮すことになったとしたら、私たちも元気がなくなり迷いが生じることでしょう。
また、たとえ1カ所に暮らしていても、自分の判断が信じられなくなり、道に迷うことはあります。
迷いがあり、問いかけがあるという、その事実こそ、「聖なる知恵」が私たちを招いている働きかけでもあります。
セラトーのメッセージの"直観を信じる"ことは、この「聖なる知恵」
に通じる内なる導きとつながることを意味しているのです。
もしも、判断力や決断力が鈍ってしまい、自分という存在自体にさえ迷いが生じてくるようなことが起きたなら、
聖なる青い花のエッセンス、セラトーを試してみてください。
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| 2006.06.02 |
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